今回は僕のヘアカットクープデフィレが完成するまでの話をご紹介したいと思います

 

目次

1番参考になったカット理論

ダダキュービックのカット理論の一つMDM[マルチデバイティングメソッド]です。

美容師であればDADA CUBICという名を知らない人は、多分誰もいない超有名サロンです。残念なことに今はもう亡くなってしまったんですが、植村隆博氏が設立した美容室です。

渋谷にある美容室です。

植村隆博氏はロンドンにいってヴィダルサスーンの下でテクニカルディレクターとして活躍していました。

その他にもDADAというアーティスティック集団を作ってその中で作品作りをひたすらしていたという部分もあります。

 

なぜ僕はそれを知っているかと言うと、植村隆博氏のカットや物質の考え方、そしてアート作品を生み出すそのクリエイションに、大いに影響を受けたからです。

 

よくよく考えたら、10年以上前の美容学生時代に、一度植村さんと会っていたんです。

記憶を辿ってみるとそういえばDADA CUBICに行ってたわ。

という事が判明したのです。

 

学生時代サロンのカラーモデルとして行っていましたし、名前は分からないのですが、ロンドンにカットの勉強をしにいってた人にカットもしてもらってました。

よく考えると他の美容室に比べると圧倒的にクオリティが高く、一番良かったなと記憶にありました。

今思うと相当ハイレベルな施術をしてもらっていたんだなと。

身にしみて感じる今日この頃です。

 

さてDADA CUBICに関しては、いろいろyou tubeや本とか出てるんで、興味があったら調べてといてください。

 

ブラントカットを更に追求したカット技法

まあ簡単に説明すると、ヴィダルサスーンのブラントカットを植村隆博氏がさらに細かく突き詰めたカットです。

 

だいたい普通のヘアカットは、例えばボブのスタイル何個か、ショートやロングのスタイル何個とか。ヘアスタイルの作り方で覚えます。

どこのサロンでもそうですが、色んなヘアスタイルの型があります。

 

普通の美容室は、ヘアスタイルが10個あったら10個のヘアスタイルの切り方を覚えるのです。

ぶっちゃけそういう覚え方だと応用が全くききません。

 

どんなヘアスタイルにするにしても、自分の頭で考え、どこにレイヤーを入れるのか?どういうシルエットや、ボリュームを出していくのか?

ということを考えながらカットしないとその人その人に似合わせるという事は難しいです。

 

DADA CUBICのカット理論の1つ MDM [マルチデバイティングメソッド]

これは頭のどの角度から、どの場所から切っても横のスライス、縦のスライス、斜めのスライス、そしてレイヤーやグラデーション、オーバーダイレクションや、リフトアップダウンなどというものを組み合わせてそれこそあらゆるヘアスタイルを作る切り方なんです。

 

まー専門用語並べても、美容師以外絶対わからないですよね。

要するにどっからでも自由自在に切ることができるし、技術の組み合わせでどんなヘアスタイルも作り出すことができる天才的なカット技法ということです。

 

ここで鋭い人は気づいたかもしれません。

そうなんです。

 

僕のクープデフィレとかなり似ています。

クープデフィレもどこから切っても、髪の毛をどこから引き出してもレイヤーの入れ方やグラデーションの入れ方。

オーバーダイレクションや、リフトアップダウン。それらすべて自由自在にそれこそ無限のバリエーションで切ることができるのです。

 

ブラントカットを植村隆博氏が更に突き詰め、完成したカットがDADAのカット理論です。

 

そしてそれからインスピレーションを受け、これをエフィラージュに置き換えて分解し、再構築したカットが[クープデフィレ]という事です。

 

髪の毛という物質

物理的にヘアカットを考える

ヘアカットを考えていくときに物理学というものを考えなければいけません。

 

髪の毛というものは物質です。

物質は重力によって下に落ちます

 

それは当たり前ですよね。誰でも知っています。

 

どんだけ上手にカットしたってスタイリングしないで自然の状態で、物理法則を無視したスーパーサイヤ人みたいになる事は絶対にできないですよね!!

 

 

ハァーッッッッッッッッ

 

とかって、気合い入れたら金髪になって立ち上がるわけないですよね!!

 

もしできる人がいるならやり方教えてください。

 

バウハウス

バウハウスというドイツにある伝説的な建築学校があります。

建築士を目指している、もしくは建築士の人間は知らない人間はいないぐらい、建築の基礎を作り上げ、そして消えていった伝説的な建築学校です。

バウハウスの歴史については興味あったら調べといてくださいませ。

 

いや、僕、建築の業界は全く分かりませんが、たぶん知らない人いないですよね。

ちょっと自信ないのでここらへんはつっこまないどいてくださいませ。

 

ちなみにですね、店の小窓にこれ!

実は飾ってるんですよ。知ってました?

吹越 広彬, Fukikoshi Hiroaki, champs des lilas, シャンデリラ,三沢市,松園町,美容室,バウハウス

もちろん見ることもできます。

バウハウスの理論には僕も相当影響を受けたのです。

そしてあの有名なヴィダルサスーンは、このバウハウスの建築的な理論からインスピレーションを得てブラントカットを開発しました。

ブラントカットとは

ブラントカットが幾何学的なヘアカットと呼ばれている理由はここにあります。

幾何学的とは何か?

英語にするとGeometric[ジオメトリック]です。

法則的とか規則的って事です。

 

髪の毛を建築、建物のように。

ここはこういう角度とか、こういう切り口というふうに建築的に、規則的に切っていくのがブラントカットの特徴でありメリットだったのです。

 

1960年代

その当時のブラントカットは爆発的に流行りました。

えぇ、ファッションアイコンである60年代と言われている時代ですね。

 

美容師、ヘアメイク、ファッションデザイナー、スタイリスト、カメラマンそこらへんのクリエイティブな活動をしている人達は、誰一人60年代を知らない人間は存在しません。

それほど60年代は世界に圧倒的な印象を与えたのです。

さてその60年代の礎を作ったのは誰でしょう?

 

そうです。ヴィダルサスーンです。

彼がビートルズの髪の毛を切って、そしてモデルである…

 

はい。名前忘れました。

 

おいーっ!!

 

お前忘れんなそこ大事だろっ!!

 

ツイッギーは知ってるんですけどね。

ツイッギーは、モデルさんで、ミニスカートで世界的に大人気になったミニスカートの女王と言われているモデルさんです。

 

まー何を言いたいかというと、当時爆発的に流行っていた60年代の流行を作った立役者は、ヴィダルサスーンであったと言っても過言でないぐらい相当世界に影響を及ぼしたのです。

 

ブラントカットは難しい

建築的なカットは覚えるのが相当難しいのですが、一度覚えるとそこでカットの基本というものは身に付くのでマニュアル化しやすい。

それが世界的にどんどん普及した理由になります。

 

ブラントカットは覚えるのが非常に難しいので、各サロンでマニュアル化するとき、ガチのブラントカットをはしょって、できるだけ簡単にしてやり方を教えているのが、大抵の美容室のカットの仕方なんではないでしょうか?

 

植村隆博氏の場合は、そのただでさえ難しいブラントカットを独自でさらに追求して今のDADA CUBICのカット理論を完成させたのです。

 

僕が彼を尊敬するところはここにあります。

正にアーティストです。

 

エフィラージュ

それに対してエフィラージュはフランスのJean marc maniatis[ジャン マルク マニアティス]氏が考案したカット技法です。

こちらはフランスのsculpture[彫刻]からインスピレーションを受けマニアティス氏が考案したのです。

 

たぶん。

 

いやっ多分でお前モノ言うな!!

 

と言う声が聞こえてきそうですが、確か誰だったかが言っていたんです。ジャンフランソワかソフィーかそれかマニアティスに関係する誰かから聞いた記憶があるんですよね。

 

真相はちょっと分からないですね。

 

僕の仮説ですが、切り方を考えてみると、インスピレーションはどう考えても、彫刻からなんですよね。

 

 

門外不出のヘアカット

フランスのカットといってもフランス人が全員できるわけではありません。

マニアティスで働いていた人しかできない門外不出のヘアカットだったんですから。

 

そのマニアティスから独立した人たちがスタッフ達に教えていったのです。

マニアティスが生み出したヘアカットが[エフィラージュ]です。

 

マニアティスは当時爆発的にブラントカットが流行っているなか、相当カットを追求し続けて、そしてエフィラージュを生み出したのではないでしょうか?

 

凄いですよね。

ちなみに僕はマニアティスに会ったことはありません。

ジャンフランソワとソフィーの話を聞いていただけです。

 

カットと言う名の[アート]

バウハウスの建築学があってそこからインスピレーションを受けてブラントカットを開発したヴィダルサスーン。

そのブラントカットをさらに細かく追求したDADA CUBICの植村隆博氏。

 

そしてブラントカットとは対極に位置する全く違ったカット技法[エフィラージュ]を生み出したマニアティス。

 

全員、自らヘアカットというものを追求し続けそして完成しました。

 

それはカットという名の「アート」なんです。

 

なぜ僕はエフィラージュを知っているのか?できているのか?

僕の師匠であるジャンフランソワはマニアティスの右腕として活躍していました。

ジャンフランソワが独立して新しく店を出して、そこに僕がオープニングで就職して働いていたから覚えたわけです。

 

もちろんフランス人ですので手取り足取り教えてくれるわけがありません。

フランス人と何かしら交流がある人はわかると思いますが、基本的にフランス人はめんどくさいことが大嫌いです。

 

そして人に自分の労力をかけて教えません。

見て覚えろというパターンそのまんまです。

 

トレーニングはモデルのみ

エフィラージュトレーニングはウィッグという人形は一切使いません。

モデルを連れてきていきなり人をカットして練習していきます。

 

ジャンフランソワは2、3回切って、

 

こうだ!!

 

わかるだろ!

 

やってみろ!

 

 

 

えっ!?

 

ちょ、おっさんお前、そんなんで分かるわけねーだろっ!!

 

なんかもっとこう切るとかないの?

 

まーツッコミどころはたくさんありますが、それらの気持ちを抑え、僕は恐る恐る一切りしてみました。

 

だめだっ!!

 

こうだっ!!

 

 

 

いやっ!

 

だから!

 

……

 

ぜんぜんわかんねーよっ!!

 

というやりとりを延々と繰り返すわけですよ。

 

ひとりのモデルを連れてきたらひたすらカットし続けました。3時間ぐらい。

 

まじでっ!!!

 

3時間!?

 

はい、だいたい3時間ぐらいひたすら切り続けたのです。

切り終わってジャンフランソワに見せて、

 

違う!!こうだ!ここがだめだろっ!!

 

またやってみろって!!

 

わかんねーよ。何がだめなんだ!このおっさんはなめてんのか!

 

という思いが込み上げまくっている時に、

 

いいか、ヒロ!このカットはスペシャルだ。目で見て、手で触って、感じて切るんだ!!

 

やってみろ!!

 

分かった!!

 

ってわかるわけねーだろーっ!!

 

という事をひたすら繰り返しました。

 

サロンでも切っていたし、家にも行って切ったし、ひたすらいろんなモデルさんを切りまくっていました。

日本ではあり得ないですよね。いきなり人から切る事はないと思います。

はじめにウィッグで練習してからモデルで最終的なカット練習をするというパターンがほとんどだと思います。

 

ウィッグを捨てられる

僕もそうやって練習しようと思ってウィッグを持っていったのですが、ジャンフランソワはそのウィッグをぽいっとゴミ箱に捨ててしまいました!!

 

おいーっ!!

 

えっ!

 

それ捨てるっ!!

 

いやっ

 

えっ

 

と思っていた矢先、

 

ブラシも捨てられる

なんだこのブラシ!

 

この豚毛のブラシはなんだこれは?

 

えっロールブラシだけど・・・。

 

ぽいっ!!

 

おいーっ!!

 

ブラシもすてたー!!

 

 

僕はこれは笑っていいのか?

フランス的なギャグなのか!?

 

とひたすら思考錯誤していたのです。

 

今すぐこのブラシを買ってこい。こんなブラシはフランスでは使えない。

 

そう言ってセラミック製のロールブラシを僕にみせて買ってこいと言ったのです。

店に来た人はわかりますが、僕のロールブラシはその時買ったロールブラシを今でも使っています。

 

たまにそのブラシすごいですね。

と言われることがあります。

えぇ、このブラシにはそんな甘酸っぱい思い出があるのです。

 

さてこのロールブラシ、毛のブラシと何が違うのでしょうか?

ヨーロピアンの髪の毛はアジア人に比べて非常に細いのです。

 

そんなヨーロピアンの髪の毛に、毛のブラシを使うとものっすごい絡まります。

そしてオーバードライがアジア人の比じゃないぐらい起きまくります。

 

オーバードライとは

ドライヤーの熱を加えすぎて、パサパサになって広がる現象の事です。

そして静電気も半端なく起きるのです。

 

という事でポイって捨てられたのです。

 

 

モデルトレーニング

繰り返したくさんのモデルさんでひたすらそのトレーニングをしまくったのです。

そこで僕はエフィラージュというものを自分の身に刻むことができました。

その時全て感覚のみで切っていました。

 

その当時は理論というものを全く理解していなかったのです。

それはそうです。

教えてくれなかったんですから。

 

僕の髪の毛の声が聞こえるというのは、こういうトレーニングをひたすら積んでいたからなんです。

 

完全にジャンフランソワのサロンワークを全て見て、全てをコピーして、バーやクラブで女の子に声をかけモデルとして来てもらって、髪の毛を切るということをひたすら繰り返していたのです。

 

フランス人のスーパー可愛い女の子達に声をかけるって結構ハードル高いんじゃないの?

とお思いでしょう。

 

まーよゆーですよね。バベルの塔に比べたらカスみたいなもんですよね。

裸にさせるわけじゃないんですから。

 

まーその記事はこちらをどうぞ。

 

この生活は非常に面白かったです。

 

メイクアップフォーエバーアカデミーを卒業してからジャンフランソワのところで、日本に強制送還されるまで1年半ぐらいこのトレーニングをし続けたのです。

 

強制送還の件はまた違う記事で書いていきたいと思います。

 

日本に帰国後

大きな挫折

日本に帰国後は、エフィラージュを理論的に解読、分解してまた再構築しなければいけなかったのです。

なぜなら、日本という国は右に習えという国ですので、僕が今まで見たこともないカットをしていたので、みんな驚きと同時に、なんだそのカットは!!今すぐそれを止めろ!!と半端なく罵声を浴びせられていましたね。

 

想像して見てください。

パリに行っていたとはいえ、日本に帰って来た当時僕は22歳です。

普通の美容師ですと専門学校卒業して、2年しか経っていないと、普通はまだアシスタントです。

しかもまだカットの練習すらさせてもらえない時期なほど厳しい世界です。

 

その中で僕は、スタイリストです。カットできます。

 

と言って、見た事もないカットをしていたのです。

そしてその理論を説明することができない。仕上がりは悪くなかったです。

 

こんな人間を使う美容室はまー無かったですね。

 

アシスタントから出直せ。

ブラント覚えろ!!

 

と帰国後、どのサロンに行っても技術チェックの時にそう言われ断られ続けたのです。

 

これが僕の人生で相当大きな挫折の1つです。

 

その当時の事と、それをどう乗り切ったのか、まーその記事も別で詳しく書いていきたいと思います。

 

普通のパターン

大体のパターンとしては、日本でしっかり技術を学びちゃんとした美容師として活躍し、そして結果を残し、さらに自分の技術を追求したいという思いでロンドンやニューヨーク、パリに行きます。

僕の場合は逆バージョンでした。

 

初めにパリに行ってしまったので美容師としての基礎は何もなかったのです。

むしろ美容師になるつもりは一切なかったのです。

 

初めからパリコレのヘアメイクをやりたい一心でパリに行ったんですから。

 

とりあえずエフィラージュを理論的に説明して、そして結果を出しそいつらを実力でだまらせなければいけません。

カット理論の構築

カットの理論を独学で勉強しまくったのですが、その当時影響を受けたのがそうです。ダダキュービックのカット理論の一つ MDM「マルチデバイティングメソッド」です。

 

本当はDADA CUBICのアカデミーに入ってカットを覚えた方が早かったと思いますが、僕はDADA CUBIC のカットを覚えたいわけでありません。

 

エフィラージュをさらに進化させたいと思っていたので本で覚えました。

テクニックはもう身についているので、理論を学びたかったからです。

 

本質的ではない

DADAの理論以外にも、その当時出ていたカットの本についてはある程度見たのですが、どれもこれも僕には何の役も立ちませんでした。

 

カリスマ美容師のなんたらカットって言われたって、ブラントの劣化版みたいなもんです。

劣化版ブラントでベースを切った後に、セニング「すきバサミ」を使ったり、エフェクトカットとかスライドカットとか。

よくわかんないカットで毛量調節してたって、そんなの僕には全く何の役にも立ちませんでした。本質的じゃないんですよね。

 

なんかこうやって書いているとまるで僕が美容師や美容業界嫌いなように思いそうですが、そうです。

 

僕は日本の美容師が大嫌いです。

そして日本の美容業界が大嫌いです。

なのに美容師として生きてるんです。

 

実に大きな矛盾ですよね。

ですがそんな人間だからこそ、日本の美容業界の常識や日本の美容師の常識というものを心の底からブチ壊したいと思っているんです。

 

一体どれだけの否定や批判、罵声を浴びせられ続けてきたか。

ですがそんな罵声などはバベルに比べるとゴミですよ。

ちっぽけすぎて全然余裕でした。

 

まず日本語通じる時点で最高でしたね。

 

ひたすら自分のカットを追求し続けました。

 

DADAの理論が一番エフィラージュに近かった

あらかた本を見まくった結果、DADA CUBICのカット理論が一番素晴らしいということがわかったのです。

 

その理論を学びながら、今まで感覚で切っていた所に照らし合わせてひとつひとつこうだからこういう風に切るんだ。と。

理論と技術を一つずつじっくりと融合させていきました。

 

その当時まだクープデフィレは完成していません。

ジャンフランソワのエフィラージュのコピーだったのです。

 

完成されたクープデフィレは頭のどこから切っても問題ありません。

どこからどのように髪の毛を引き出し、どのようにレイヤーを入れるか、どこで毛量をとっていくのか。

そういう全ての動作をハサミ一本で行っていきます。

 

DADAのカット理論は、ブラントカットを細かく突き詰め完成した天才的なカット技法です。

植村氏は本当に天才だなと非常に尊敬しています。

 

ですが、僕も負けてられないんです。

 

Coupe d’effilée[クープデフィレ]

DADAのカット理論を元に、面を更に細かく点に分解したクープデフィレを開発しました。

 

もうジャンフランソワのエフィラージュのコピーではありません。

僕の「エフィラージュ」でもありません。

 

パリのエスプリと日本の技術を融合した新しい僕だけのカットCoupe d’effilée「クープデフィレ」です。

間違いなくこのカットができる人間は世界に僕一人です。

そりゃそうです。僕が考案したカット技法なんですから。

 

Coupe d’effilée[クープデフィレ]の名前の由来

クープデフィレはフランス語的に間違っています。

本来の正しい文法だとCoupe effilée 「クープエフィレ」になります。

 

「エ」が「デ」

 

になっているのです。

 

それはなぜか?

フランス語でパリコレの事をdéfiler[デフィレ]と言います。

意味は「行進」です。

 

そうなんです。僕の目標である「デフィレ」に向けて

そして、ジャンフランソワのeffilage[エフィラージュ]

*effilageはeffiler[エフィレ]から派生した造語です。

 

そのeffiler「エフィレ」をとって

coupe d’effilée [クープデフィレ]にしました。

 

パリでのジャンフランソワとのトレーニングの日々、そしてパリコレという目標に向かって試行錯誤している日々。

 

それら僕が歩んできた美容人生を物語り、その先も紡いでくれるであろうと。そしてそれがいつしかアートになるだろうと希望を込めて、

 

Coupe d’effilée [クープデフィレ]

 

と名付けました。

 

このカットには僕の魂そのものが込められています。

 

自分で道を切り開く

僕は今までヘアメイク、美容師をしていて誰かに教えてもらったことは一度もありません。

もちろん学校でヘアメイクの基礎は学びます。

ですが、学校で学んだからといってそれだけでは技術は絶対にできません。

 

これは使えると思った技術は全て見てコピーしまくりました。

そして、それを自分なりに分解して、再構築するという事をひたすら繰り返していたのです。

カット以外のカラーやパーマ、縮毛矯正も全部そうです。

 

それプラス、実戦経験と膨大な練習が必要です。

ウィッグを切る練習したってウィッグを切るのが上手くなるだけです。

(人ではできない実験をするのにはウィッグは適しています。)

 

人の髪を切るのを上手くなるには、人の髪を切らなければ上手くならないのです。

 

普通の美容師が歩む道は一切歩んでいません。

全て自分で考え創造して、自分だけの道を切り開いてきました。

 

第一、日本人で美容師の始まりがパリって聞いた事ないですよ。

 

・・・。

 

 

より大きな困難が立ちはだかった時、僕はあの時のバベルの塔を思い出すのです。

全ての問題が心の底からカスみたいな本当にちっぽけなものになります。

あの時に比べると。

 

 

まとめ

技術というものを誰かに教えてもらうということは実に簡単です。

自分で考え、新しく生み出すということは本当に大変です。

そして人の真似をしていては、いつまでたってもその人を超えることはできないのです。

 

「君、あんまり人を崇拝しすぎると自分の自由を奪ってしまうよ」

 

これは、かの有名なスナフキンの言葉です。

 

当時、家に帰ると4歳の娘がエンドレスでムーミンを見続けていました。

自然に僕も覚えてしまいました。

 

ティーティーウーの回です。

 

ムーミン谷はどこにあるかとフィンランドのソイニ外務大臣に尋ねると、

 

ここに…

 

ソイニ外務大臣が胸に手を当て答えました・・・。

 

 

 

[クープデフィレ]はどこでできるの?

 

 

ここで・・・

 

僕は胸に手を当て、そう答えました・・・。

 

 

 

ご予約はこちらから

こちらからご予約頂けます

関連記事

  • 関連記事
  • おすすめ記事
  • 特集記事
TOP