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FUKIKOSHI HIROAKI

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高校生の時に漠然と進路を決める際に、僕には何もしたいことがありませんでした。

そんなある時ひとつの雑誌を見ました。

そこにはめちゃくちゃ派手なメイクとヘアーでランウェイを歩いているモデル達が載っていました。

 

なんだ!このやばい頭は!メイクは!?

 

僕は衝撃を受けました。心が躍りました。これをやりたいと。俺はこれをやるべきなんだと。

パリコレのDIORのショーでした。

色々調べたらこれはヘアメイクアーティストという職業だと知りました。

 

高校の先生に話しても、

「なんだヘアメイクって?美容師じゃないのか?そんなよくわかんないもんやめとけ。」

親には

「お前には絶対無理だからやめておけ。それにパリなんて何バカなこと言ってんだ。」

否定のオンパレードでした。

 

どれだけ無理だと言われようがやるって言ったら俺はやるんだ。

気がついたら僕はパリに行ける美容学校に入学していました。

それは原宿にある美容学校でした。

 

当時体験入学に行った時にそこの先生に

「ここに入学したらパリいけますか?僕パリコレのヘアメイクやりたいんです。」

「うん。パリ行けるよ。なれるよ。」

「じゃあここ入ります。」

僕は、即答でした。

まだ、体験入学が3校も残っていたのですが、全てキャンセルしてこの先生の言う事を信じて僕は原宿の美容学校に入学しました。

 

そして原宿の美容学校を卒業後、すぐフランスParisに行きました。

僕の夢はパリコレのヘアメイクアーティストになる事でした。

その夢一心に渡仏しました。

 

まずはParis のメイクの専門学校MAKE UP FOR EVER ACADEMYで9ヶ月過ごしました。

フランス語をひとつも話せない状態で行ったので相当苦労しましたが、今となっては楽しい思い出です。

 

その後、これから先の僕の人生を全て変える出会いがありました。

ジャンフランソワです。

 

ジャンフランソワは、フランス人のおっさんで少しお腹が出てて、足が細くて、まるでワンピースの敵キャラのようでした。そしてゲイでした。

ジャンフランソワはこれからサロンを立ち上げる所で、ちょうどスタッフを募集している所でした。

そんな事があり、僕は運が良くサロンのオープニングから携わる事ができました。 

 

Parisの高級街マドレーヌにそのサロンはあります。

静かで隠れ家のような。見つけた人はラッキーと思えるようなそんなサロンです。

「秘密の中庭」

そのサロンの日本語訳です。

 

そのサロンから僕の美容師人生は始まりました。

 

ジャンフランソワの教え方は、完全に見て覚えろでした。

ウィッグでの練習は一切許されず、必ずモデルを連れてきてカットをしていました。

カットが仕上がったらジャンフランソワに見せ、駄目だ。と言われ、またカットをし、また駄目だと言われ、ひたすらその繰り返しでした。

1人のモデルを半日以上切り続けたこともあります。

ですが嫌という気持ちは一切なく、日々のサロンワークや、トレーニングはとても楽しくどんどん美容師にのめり込んでいきました。

 

そんな日々が過ぎ、サロンで働いて1年が経った頃に、ついにパリコレの仕事をする事になりました。

 

DIORとYOHJI YAMAMOTO のヘアメイクでした。

 

俺の夢が叶うんだ。決まった瞬間は嬉しい思いで一杯でした。

 

しかし、パリコレが2週間後に迫ったある日、手紙が届きました。

あなたの就労ビザ申請は却下されました。速やかに帰国しなさい。との手紙でした。

就労ビザを取る際のあらゆる問題をクリアして、もうこれは間違いなく就労ビザ取れるだろうと思っている矢先のことでした。

それから、止むを得ず日本に帰国しなければいけなくなりました。

もう少しで夢が叶う所で叶いませんでした。

その後、何度もフランスに住むためのビザを申請したのですが、全て却下されていました。

 

日本での美容師生活は初めはとても辛く何度も美容師を辞めようと思いました。

 

その時には必ず僕はジャンフランソワの言葉を思い出していました。

「ヒロ。お前は天才だ。お前には才能がある。美容師を続けろ。そしたらまた会える。また会える日を楽しみにしてるぞ。」

 

帰国前日に言われた言葉です。

 

だから、どれだけ日本の美容業界が理不尽でも、非効率的でも続けました。どれだけお前のカット、接客や考え方は駄目だ。直せと言われようが、僕は直しませんでした。

直してしまうと、パリでの日々が全て無かったことになってしまうんじゃないか。自分が自分で無くなってしまうんじゃないかと思っていたからです。

 

日本での大きな挫折を経験し、葛藤を抱き、それでも絶対パリに戻ってやるんだ。俺は夢を叶えてやるんだ。という思いのみで美容師を続けました。

 

そんな日々が過ぎ、気がついたら周りの美容師たちや、お客さん達が応援してくれるようになりました。

 

更に店長になっていました。そして、結婚し子供ができ、家族ができていました。

家族ができてもまだ僕は夢を捨て切れていませんでした。

 

いい加減安定しろよ。パリは諦めろよ。

何度も友達や家族に言われ続けました。

何度も何度も悩み、葛藤し、それでもいつか必ずパリに戻ってやる。常に思い続けてました。

 

東京での生活を終え、青森に帰りました。沢山の人に言われました。

なんで帰るんだ?

東京でもできるだろ。パリ目指せるだろ。

 

僕は、パリも大事ですが、家族も大事でした。朝から夜中まで働き続けて、家に着く頃には日付が変わっていました。このままだと家族が終わると思っていたのです。

 

青森に帰ってきてからはのんびりできました。しっかり休みをとって、早く帰って子供と触れ合ったり、あぁ、これが幸せなんだなと感じながら日々を過ごしていました。

僕はパリに行くことを諦めたから青森に帰ってきたわけじゃありません。家族も大事にしつつ、自分の夢も叶えるという。どちらも達成する為には東京より、青森の方がいいと思って帰ってきたのです。

 

しかし、気がついたらパリから帰国して既に8年ほど経過していました。僕がジャンフランソワの所に戻ってももう居場所はありません。

だから僕はジャンフランソワと出会えた時に、友達として対等に話せるように。パリコレの夢を叶えれるようにパリにサロンを出すことに決めました。

 

それが例え何年かかろうが絶対叶えてやる。そう心に誓いました。

 

パリに店を出す第一歩として青森県は三沢市に店を出すことにしました。

 

ですが、そこでも僕と関わっているであろう人達のほとんどが反対したのです。

値段が高すぎる。こんなんじゃ誰も行かない。やめろ。絶対潰れるぞ。

と。

ですが、僕は頑なに値段は変えませんでした。

 

僕は絶対に自分の技術を安売りしたくありませんでした。俺はパリに店を出すんだ。パリコレをやるんだ。そんな人間が安い値段でできるか?本気で夢叶えるんだろ!だったら勝負してやる!

そう思っての値段設定でした。

 

家族、親戚、友達、皆否定しました。

ですが、それでも僕が担当しているお客さんだけは、

「絶対うまくいく。」

「その値段でもむしろ安いぐらいだよ。」

と言ってくれました。

僕は嬉しかったです。

 

東京にいた時も、青森でも、僕を救ってくれたのは家族でも友達でもなく、お客さんでした。

「あなたじゃなきゃダメなのよ。」

「あなたは天才だわ。」

僕についてきてくれるお客さんはいつもそんな事を言って僕を嬉しくさせてくれるのです。

だから僕は自信を持ってこの値段でサロンを出すことにしました。

 

しかし、サロンを出した直後に、妻と子供が僕の元から去りました。

深い悲しみと挫折、後悔。自暴自棄になり、もう全てを諦めよう。そう思い始めていました。

 

そんな時も、

「大丈夫。あなたならきってうまくやれるわ。」

「あなたならきっとうまくいく。応援してる。だから諦めないでくれ。」

そんな励ましをお客さんから沢山いただきました。

 

今の僕がいるのは今までついてきてくれたお客さんのおかげです。救われたのもお客さんのおかげです。

僕は1人だとこんなに店を続けてこれなかったです。何度も諦めそうになりました。

 

その度にお客さんとジャンフワンソワの言葉を思い出します。

続けよう。必ずうまくいくはずだ。そしていつか俺は絶対パリに店を出してパリコレの夢を叶えてやる。

そうやって再び続けれました。そしたら次第に売上が上がっていきました。

 

しかし、そんな順調に上がっていく中それはやってきました。

 

コロナです。

 

コロナウイルスにより一時はお客さんが来なくなりガクッと売上が下がりました。

ですが、ここでもお客さん達のおかげでシャンデリラはなんとか持ち堪える事ができました。

持ち堪えるどころか、嬉しい事に前年度より売上が上がっていました。

 

僕が諦めそうになるたびに、お客さんは僕を励ましてくれます。

その度に僕はまた続けようと思えます。諦めないでいられます。

 

僕は本当は物凄く弱い人間です。すぐ諦めるし、すぐ飽きます。

それでも美容師だけは13年間一度もやめる事なく続けてこれました。

 

始まりはパリのサロンでした。

ジャンフランソワがいて、皆がいて。

それから東京では一緒に働いた皆。お客さん。

青森ではシャンデリラ に通ってくれているお客さん。

段々と人との繋がりが増えて、やめるにやめれなくなりました。

 

こんなに楽しい仕事を僕は他に知りません。こんなに楽しい人生にしてくれている皆さんに、何度も僕を救ってくれた皆さんに。僕は心の底から感謝しています。

 

だから僕はこれからもずっと美容師を続けようと思います。

 

ずっと忘れずいる為にここに記しました。

これからもシャンデリラを吹越 広彬をどうぞよろしくお願いいたします。

 

上品に。楽しく。美しく。

Parisのマドレーヌにひとつのサロンがありました。

 

そこは、淡い紫を基調にオレンジのライトやグレーの壁、ヴィヴィットな紫のソファーがありました。様々な色が散りばめられ、宝石箱のようなサロンでした。

 

僕の美容師の始まりはここでした。

師匠のジャンフランソワは僕に一つも教えてくれませんでした。ですが、全てをジャンフランソワから教わりました。

 

Paris でのサロンの思い出は人生の中でとても楽しく宝物でした。あれからあれ以上に楽しい時を過ごしたことはまだありません。

サロンに来る人たちは皆友達のように接してくれました。まるで友達の家にふらっと遊びに来るようです。

 

僕はいつかそんなサロンを作りたいと思いました。

Parisで過ごした楽しかった思い出。

 

どれだけ時が経っても、ジャンフランソワから教えられたことを、parisのサロンで出会った皆、思い出を忘れぬように、サロンの名をLilasとしました。

 

Lilasは淡い青紫です。

Lilas の花言葉は「思い出。友情。」

白いLilas は「青春の喜び」

紫のLilas は「初恋。恋の芽生え」

 

この場所に訪れた人達の様々な思い出になってくれればいいなと思い、

 

Champs des Lilas 「シャンデリラ」

 

と名付けました。

僕が味わったような、楽しくゆるく心地いいと思えた淡い日々たちを、シャンデリラで皆さんが味わえたらなと思います。

 

上品に。楽しく。美しく。シャンデリラ。

これは俺の頭の中か。それとも何か。

 
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